最初のきっかけは2022年11月の出雲~広島旅行。
広島2泊目に広島市内で大学の友人と久しぶりに逢い、広島の郷土料理が食べれる小料理屋さんに入り広島の珍味でお酒をいただいていたときに、美味しいお酒を見つけました。
「龍勢」と書かれた日本酒がとても印象的でした。
それから冬の書き入れ時を過ぎ、コロナもやっと終わりの兆しが見えてきた春先にふとあの時の酒の味を思い出し、思い切って酒蔵へ連絡してみました。
ほどなくして「まずはぜひ一度蔵へ来て欲しい」とのご返答をいただいたので、それから日程の調整。
先方から「甑倒し」はこの日、
「皆造」はこのくらいです とのご連絡が来ました。
恥ずかしい話、テイスティングはしてきましたが、
日本酒の専門的な勉強はしてなかったので、すぐネットで検索。
「甑倒し(こしきたおし)」とは
その年のもろみの仕込みの仕事が終わる日のこと。
酒造りの道具の甑を洗って倒すことから名付けられたそうです。
そして「皆造(かいぞう)」
その年の最後のもろみの搾りを終えることをいいます。
「甑倒し」から約一か月後に迎えるのが「皆造」ですべての蔵の造りの仕事が終了することだそうです。
で、この日程を伝えられ、逆に混乱したのが何を隠そう私です。
「蔵に見学に来て欲しい」と言われ、まだ契約もしてない酒販店の人間が伺って
一年の仕事の終わりの場に立ち会って何するのかな???
もしかして蔵人の労いの席に同席するのかな?いやいやあり得ない!
妄想ばかりが膨らんでリアルに混乱したので、日本酒に詳しい京都の酒販店の先輩に連絡しました。
自分:「先輩、酒蔵見学行くんですけど、日程送られてきました。これはどういうことですか?
甑倒しがこの日で、みなづくりがこのくらいにやるそうです」
先輩:「みなづくりってなんや?」
自分:「メールで『皆造』ってきました」
先輩:「アホ、それ『かいぞう』や。そのくらいに仕事落ち着くからそれ以降に来てくださいってことやない?」
ありがとうございますパイセン。
ワイン会社勤めの時に一緒に仕事させていただいた頼れる兄貴です。
それからメールでのやりとりを行い決まった日程が2023年5月24日
日程決まったことを伝えると「ぜひ竹原市にお泊まりいただきたい」とのこと
ホテルがとれるかの心配をしてくださったので
何でかな?っと思ったら「G7広島サミット」あるんですね。完全に他人事だった。
無事ホテルも予約出来、行程の確認
広島空港へは宮崎直便が無いのでまずは福岡へ飛んで、博多駅から新幹線で広島駅へ。
そしてなんと高速バス(かぐや号・南口13番乗り場)が広島駅~竹原駅まで走ってる!!
Station to Station to Station!!
そしていざ当日、広島駅まで来てG7の影響が大きかったことがやっとわかった。
高速バス期間中一時運休、数日ズレてたらここで一度プランが詰んでた。
時刻表と乗り場と支払い方法を確認して広島駅に戻り広島っぽい穴子の蒲焼き重をいただきました。
お値段の割にイマイチでがっかり!
どうでもいいけど、新幹線快適になってる。
前に乗ったのが10年前くらいだから当然だろうけど、
Wifi完備、座席の手すりに充電用コンセントまで!
こりゃビジネスマンの強い味方だ!
そして普段西都ではほとんど使わないSuicaが大活躍!
行きの福岡空港から博多までの地下鉄、広島駅から竹原駅までの高速バス、帰り寄り道したローカル線・呉線、全てで使用可、お金さえチャージ出来ていれば、画面開かずともリーダーにかざすだけで決済。
チケット購入の手間も省けて超便利。
そんな高速バス・かぐや号に揺られ約1時間。
バスが高速を降りると、棚田が見えたり、田んぼの合間にたまに家があるような地元の山間部の入り口のようなザ・田舎の風景に少し戸惑いながらバスは走る。
川が車窓から見える、Googleマップを見ると「鴨川」と記されていた。
綺麗な川で「鵜」っぽい地元じゃ見ないような黒い鳥がいた。まあまあ大きかったけど鷺ではなかった。
田園風景が続いたが、いよいよ市街地にバスは差し掛かり、ふと右手に懐かしい造りの建物が。
最近建て替えた地元西都市の旧市役所にどことなく風情が似ている竹原市役所でした。
バスが竹原駅に着くと、藤井酒造の社長さん自らお迎えに来てくださいました。
互いに初見でしたので、私が所在無くしていると声をかけてくださいました。
駅前だけ見ると静かそうで落ち着いた普通の街かなと思いつつ、車で蔵まで移動。
さあ蔵や酒造りについて、いよいよお話があるのかなと思ったら、蔵を通り抜け裏道へ。
ちなみに裏口に面した所は雑貨屋さんになっていました。
石畳が素敵な路地を通り抜け、あるお寺の門前へ。
戦国武将小早川氏ゆかりのお寺だそうで、昔は山城もあったそうです。
この寺がある山の形が龍の頭に見え、寺の階段横にある井戸から勢いよく湧き出た水でお酒を仕込み始めたので「龍勢」という名前の由来になったそうです。
※水源が浅いため、現在では生活用水の流入の影響もあり使用ぜず、別の深い水源を使用とのことです。
裏通りを抜け、少し歩くとタイムスリップしたような光景が!?
いろいろお話を聞くと、この辺りはかつて夏は瀬戸内海の海水で塩田を営み、仕事の無い冬は酒造りをして財を成した豪商が多かった地区だそうです。歴史を感じる佇まいの立派なお屋敷や蔵、料亭などがいっぱい。
古都・金沢や倉敷のように町並みが国で10番目の保護地区に認定され、今でもこの景色をまもっているそうです。
そしてこの歴史的建造物に未だに生活されている方が多いそうです。大事にされていますね。
幕末に著名だった方の屋敷跡や初代郵便局の跡地も
当時の郵便箱を模して作られた郵便箱は今でも使用されているとのことです。
尾道が舞台の映画「転校生」の撮影もこの竹原市であったそうです。
作品を見てなかったのでなんとも言えませんが、この階段が有名なシーンで使われているそうですよ。
そして日本酒蔵に見学に来ていながら不謹慎ですが、
ウイスキー好きとしては胸熱!
日本ウイスキーの父・竹鶴政孝ことマッサンがいる!!
北海道余市以来のマッサンとリタとの再会。
なんと竹鶴政孝の生家である竹鶴酒造がある街なのでした。
しかも現役で営業されている酒蔵とのことでした。よく熟成された古酒が魅力の酒蔵だそうです。
古い町並みに結構観光客も見かけました。
街に外から若い人が来て、古い建物にカフェやショップなど新しい命を吹き込んで新たな観光資源に生まれ変わってもいるそうです。
面白かったのは「ニッポニアホテル」さんの運営する宿。
最初に知っておけばこちらに泊まってみたかった。
この歴史的建造物を宿にして宿泊出来る施設にしているそうです。
内見させていただいたのは古い元銀行を改装した宿、味のある内装を活かしていながらしっかりモダンスタイルなアメニティ。
最近は同市の瀬戸内海にある島が世界から注目され観光客も増えたそうです。
時間の都合上行けませんでしたが、通称「うさぎの島」
町歩きした後に瀬戸内海を一望出来るカフェに連れて行っていただき、そこからチラっと見えました。島へは連絡船が出ているそうです。
丁寧な街案内が終わりようやく蔵へ
蔵は別の酒蔵を吸収したりといくつかの棟が合わさり
それぞれに大切な作業場になっていました。
ボトリング棟は衛生管理をしっかりしながら最新の機械で人員を削減。
逆に造りでは人の手がよりかかる「生酛」つくりに専念していく方針だそうです。
11月くらいから蔵の二階で酛すりを行うので見に来てくださいと
ぜひ伺います。
元々水の豊かな地区なので良い酒が造れるが、時に自然は牙をむく
記憶に新しい広島の水害、南安佐地区の大規模土砂崩れの印象も強いがこの辺りも水位が上がり蔵にも水が来たとのこと、その跡も見せてくれました。
そして酒を搾る機械。
古い機械で少し前に塗装をやり替えてもらったが、知り合いの塗装屋さんと相談して使用したのが瀬戸大橋にも使っている塗料とのこと。
そして蔵にドンとおわすのはでかい木桶。
100年位前のものでしまってあったものを引っ張り出して再稼働しているとのことです。
木桶で造る酒にはこれにしか出せない魅力があるそうです。
蔵見学が終わったら、ホテルで荷ほどきして瀬戸内の食材を使ったイタリアンへ
日本酒ハイボールから始まり(後味スッキリで美味しい)
瀬戸内の島で造っている味の濃いトマトのカプレーゼ。
トマトの酸味と香りとハイボールがバッチリでした。
2品目は鱧のフリット
キリッと冷えた龍勢に合わせました。
話に夢中でアヒージョの画像は撮り忘れ。
メインはブランド牛の峠下牛のステーキ。
龍勢和みの辛口の熱燗でいただきました。
肉汁の旨味と丸く柔らかくしっかり旨味のある生酛純米酒と相性最高です。
お酒単体で完成せず食事と響き合って味わいが増す、そんなお酒でした!
竹原市に来ておもてなしいただいたのには
「そういうお酒です」
とはっきり伝えたいという強い想いを感じました。
最後は2軒目で社長とパチリ。
ありがとうございます。
改めて届いたお酒を飲んでみると素晴らしさを実感しました。
生酛の魅力を再発見しました。
余談ですが、
G7広島サミットで宮島の老舗旅館・岩惣さんで行われたワーキングディナーがメインディナーで、
龍勢はそこで乾杯酒として振る舞われたそうです。
訪問した当日にその話を伺いました。
藤井酒造のお酒はこちらからどうぞ